アマチュア無線は素敵だ

noiseがあふれるそんな日は読書で時間を忘れよう

QSOデータをGoogleマイマップでながめる

 全くの思い込みで、今までずっと不便を引きずっていた。QSOが完了した局の住所とコールサインをGooglマイマップに落として、その地図を眺めニヤついていたわけだが、その方法と言えばログブックに記載された住所を1件1件地道にレイヤの入力欄に打ち込んでいたのだ。時間もかかるし、何といっても打ち込んだ後に地図を眺める楽しみよりも打ち込むことが精神的に苦痛になってくる。

 折角、ハムログを使っているのだからその交信データをテキストデータに変換し、Googlマイマップで読み込んで表示できれば「打ち込みはつらいよ」問題はいっぺんに解決する。改めて冷静にネットで検索すると、それはすぐに見つかった。やはりというべきか、Googlマイマップにはちゃんとテキストデータを読み込む機能がついているのだ。自分以外は皆あたりまえに使いこなしているのだろう。深く自己嫌悪に陥る。

 早速、親切なサイトでマイマップの作り方と、データの読み込み方法を確認してハムログのテキストデータ化に進む。

 ハムログを開いて、検索→複合条件検索と印刷と進み①自分の欲しいデータの日付範囲、レコード番号を設定②出力先欄からCSVファイルを選択③出力ファイル名ボタンをクリックしてCSVファイルをダウンロードしたい任意のパスを決めれば完了だ。最後に検索なしボタンをクリックし、検索なしで出力しますか→はいで瞬時にハムログのQSOデータがCSVに変換されて出力される。あとはファイルを開いて不要な項目を削除すれば、簡単にQSO記録マイマップ用テキストデータの出来上がりだ。

 思えば、何年にもわたりコツコツと、ただコツコツとひたすら住所を打ち込んできたことがどんなにむなしい作業だったことか。これからは1年に1回、CSVファイルを更新すれば良いだけなのだ。何なら、毎日更新しても問題ない。日がな、マークの付いた日本列島を拡大し、その地域に思いをはせながらニタニタ眺めるのだ。

 

 

JCG進捗

 6月だというのに今年の暑さは強烈だ。ゴルフも年齢を重ねるとともになんだか命がけの様相を呈してきている。先日の「Sixty-one Club」の定例会もふらつきながらの1日だった。

 きっちりと決めている訳ではないけど、年に1度の割合でJCC、JCGの進捗状況を確認してみる。前回の確認は2021年4月だったが、その時にはJCG100直前で足踏み状態だった。それから1年、FT8でのJCGがやっとというべきか遂に110を超えた。2018年7月からなので4年かかったことになる。JCCも500を超えることができた。

 しかし、残念ながら個人的に思い入れのある「東京全区」は渋谷区をどうしても捕まえることができない。こればっかりは、気長に我慢強く1エリアを呼び続けるしかないのだろう。

 ところで、そろそろ1年になるがJA1TOKYOを含むOLYMPIK記念局のカードがまだどこからも届いてない。発送側はこちらが考える以上に煩雑な作業で大変なのだろう。これも、我慢強くただ待ち続けるしかないのだろうな。

 

突然の「無線機制御エラー」

 ここの所、WSJT-Xから「無線機制御エラー」のメッセージがよく出る。「無線機インターフェイスを再構成しますか?」と聞かれOKをクリックしても、再試行をクリックしてもエラーの解消はできない。USBケーブルを再接続すると解消することもあるが絶対ではない。どなたかと交信中であるとそのまま交信が成立せずにお相手の方にご迷惑をお掛けすることも何度かあった。

 使っている通信ソフトのWSJT-Xに何か問題があるのか、無線機側のIC-7300に不具合があるのか、USBケーブルが良くないのか全く分からない。エラーが出たらWSJT-Xを終了させ、無線機の電源を落としてから改めてトライすると復旧する。しかし、原因がわからないのでまたいつエラーが出るかとひやひやだ。特にファーストコンタクトの地域と通信中であると最後まで行けるか心配でドキドキしてしまう。

 自分だけの問題なのかとネット検索すると、JR2VKB氏のブログに同じ現象が解消したとの記事が載っていた。エレコム製で両側の端子に金メッキが施されたU2C-BF10BKというケーブルに変えたら問題が解決したようだ。これはと思い自分のケーブルを確かめると型番をうまく確認できないものの、エレコム製で金メッキのピンコネクターだ。JR2VKB氏がアップしてくれているU2C-BF10BKケーブルの特徴にだいぶ近い。そうなると自分の場合はカーブルが原因ではないようだ。ただ、この際なのでケーブルを新品に変えてみようと思う。

 どなたか、同じ現象を「解決したよ」という人がいたら、ぜひ解決方法を教えてほしい。

 



 

 

 

渋谷を探せ

 モチベーション維持のため個人的に続けていた「東京23区」アワードも、2021年7月での確認では目黒、渋谷の2区を残すのみになっていた。電子QSLの登場でカードの収集も手軽にできる。これなら年内には何とかなるかもと、それからは1エリアPM95を中心に積極的に呼び出しを続けてきた。

 しかし目黒区、渋谷区はなかなか手強く遅々として進まない。それがついに先日目黒区がクリアできた。カードもすぐにeQSLで無事収集。ついに渋谷を残すだけになった。アマチュア無線を再開して4年で22区。思った以上に難しい。

 近年、いろいろなローカルアワードがあるらしいが、私のように勝手に決めたアワードを目標に、パソコン画面を見つめてニタニタするのも実に暗くてよろしいではないか。

 このゴールデンウイークはひっそりと陰にこもり、1エリアPM95をクリックし続けるつもりだ。家族、友人たちに話してもきっと共感は得られないだろう。それでもいいのだ。アマチュア無線とはそういう趣味なのだ。孤独なのだ。

 超私的アワードの完成はほんの目の前だぜ。

 

 

 

 

 

JA1AGSからのカード

 少し古い話になるが、JARLNEWS2020年秋号でレポートされていた「南極昭和基地JARL局8J1RLと交信しよう!」を読み、そこから自分でもFT8なら何とかなるかもしれないと根気よく気長に探し続けている。しかし、そう簡単には行かず今日もそのコールサインすら見つけることは出来ていない。

 ところが、今月届いたQSLカードの中に南極観測船「しらせ」をデザインした8J1RLのコールサインが入ったカードを見つけびっくりした。何かの間違いだろうと再確認してみると、2020年1月から翌2021年1月までの1年間8J1RLのOperatorを務めたJA1AGS山本貴士さんからのものだった。昨年、2021年4月15日にJA1AGSの常設場所である相模原での交信記録だ。

 南極昭和基地と日本との時差は6時間、直線にして約14,000キロ。日本に帰国するまでには約2ヵ月かかるらしい。なので、その日付は山本さんが南極昭和基地から帰国後まだまもない頃のものになる。

 制約の多いFT8では当時のご苦労など、南極での状況などをお聞きすることもできない。それでも、こうしてカードが届くと8J1RLとJA1AGS山本貴士さんが結びつき、遠い南極に一瞬思いをはせることができる。

 だからアマチュア無線は素敵だ。

 

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無線局再免許手続

 無線局免許状の有効期限は固定局が平成34年10月25日、移動局は平成34年10月29日だ。平成34年は西暦2022年なので今年が再免許申請の年になる。申請期間は無線局免許手続規則第十八条一項で「再免許の申請は、アマチュア局人工衛星等のアマチュア局を除く)にあっては免許の有効期間満了前一箇月以上一年を超えない期間」となっている。

 古い話になるがJARLが編集発行している「アマチュア局再免許申請用紙」の説明資料をみると平成3年(1991年)頃までは「申請する期間は何ヵ月前から受け付けるという規定はありませんが、免許の有効期限満了の日の3ヵ月前から1ヵ月前までに再免許申請をするべきです」と書かれている。それが、平成13年(2001年)の再免許用紙の説明書には3ヵ月前の記述がなくなり、たんに1ヵ月前までに到着するようにと変わった。

 今のようにアマチュア局の申請期間がきっちりと明記されるまでは「申請の受付は3ヵ月前からが良いとする」が頭に刷り込まれそれをずっと守ってきたものだ。

 最近は、うっかり再免許申請期間を逃してしまっても救済措置があり、長年慣れ親しんだコールサインを取り戻すこともできなくはない。また、申請方法も煩雑な紙ベースでの申請以外にも、ネット上で申請・届け出ができる「電子申請・届け出システムLite」がある。利便性に優れ、申請後の進捗状況がリアルタイムで確認できるため安心感もあり使い勝手がいい。

 そして、肝心の免許の有効期限を忘れないためにはスマホのカレンダーアプリがある。一度有効期限を登録しておけば、後は5年毎に任意の日にアラームを出してくれるので「うっかり」の心配もいらないのだ。

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QSO PARTY

 アマチュア無線を再開したその翌年、「そうだ、QSO PARTYに参加して12年間連続シールを完成させよう」と突然思い立ち、台紙を購入してから4年が過ぎた。

 QSO PARTYが一般的なコンテストから、今のようにシールーを台紙に貼るような形になったのは昭和49年(1974年)とのことなので今年で48年になる。自分が開局した昭和47年(1972年)当時はまだコンテスト形式だったようだ。しかし、いくら考えてみても全く記憶にない。

 ログブックを調べると、今の形になって8年目の1982年(昭和57年)に初めてQSO PARTYに参加している。すぐに台紙は購入したが、その年も、その後もサマリーシートの提出はせずに手元には何も貼られていない台紙だけが残った。

 現在のそれよりシンプルではあるが、大まかな原型はほとんど同じだ。まさに40年ものの台紙だ。「12枚のシールなんていつだって完成できるさ」と甘く考え、二度と来ることのないその時を逃した、若かった自分がそこにいる。今となっては、教訓とともにシールの貼られていない台紙そのものがなんだか貴重品のように思えてくる。

 昨年同様、今年も無事20局との新年の挨拶を済ませ、サマリーシートを送ることができた。そして先日、無事に4枚目の寅年のシールが手元に届き台紙に追加した。

 年齢を重ねてからの1年は貴重だ。風邪でもひいて寝込めば、次は12年先だ。あの時の自分のようには余裕がない。

 

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